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上野タケシのブログ

カテゴリ:災害 > 地震

ブロック塀は大丈夫?ブロック塀の調査方法についてまとめた

わかり安くまとまっているサイト。
ただしこれも、法律的にはの話になる。古いモノものなど劣化しているものは、押してみるとグラグラすることが多いのがブロック塀。傾いている場合もある。

コンクリートの比重(2.3)に対して軽量ブロックの比重(約1.3)、つまり同じ大きさで半分まではいかないが軽くて施工しやすいだけで使っている。比重イコールではないがそのぶん密度が比べてスカスカ、水も入りやすく中の鉄筋が老築化しやすい。

難しいのは万年塀。


そもそも構造的には1枚の壁は倒れやすい、だから直行する控え壁が必要。

工事現場の仮設壁も、強風で倒れるのは、建物などの柱梁、つまり壁のような平たい垂直材だけじゃなくて、直行する材が必要。

最近では強風で落ちる、飛ぶ看板なんかも同じともいえる。

大阪地震で倒壊したブロック塀、耐震調査の対象外だった 建築基準法に不適合

この中に興味深い内容を見つけた。
(引用)
福岡大の古賀一八教授(建築防災学)は、熊本地震後に益城町内のブロック塀258カ所を調査。基準を満たさない塀は、230カ所(89・1%)だった。昨年調べた福岡市内の通学路でも、645カ所のうち、95%が基準未満。控え壁は69%で必要だったが、1%しか設けていなかった。


熊本地震後に益城町内のブロック塀258カ所を調査。
 ・基準を満たさない塀は、230カ所(89・1%)

昨年調べた福岡市内の通学路
 ・645カ所のうち、95%が基準未満。
 ・控え壁は69%で必要だったが、1%しか設けていなかった。

福岡市内での通学路で95%が基準未満。控え壁が69%で必要で1%って・・・・
まず倒れると考えたほうがいい数値。

 1978年宮城県沖地震 ブロック塀倒壊、圧死者も 毎日新聞2017年3月3日
 宮城県沖では30~40年おきにマグニチュード(M)7程度の地震が起きている。宮城県沖地震と命名された地震も複数あり、中でも「1978年宮城県沖地震」は、仙台市を中心とする市街地に大きな被害をもたらす都市型地震となった。

 死者28人のうちブロック塀や石の門柱などの下敷きになって圧死した犠牲者が18人に上り、その多くが高齢者と子供だった。大きな揺れに驚き、塀などにしがみついてしまったとみられる。

 このほか新興住宅地の地盤崩壊、液状化現象によるビルの倒壊や傾斜が相次ぎ、建造物の耐震性がクローズア…

 1978年宮城県沖地震で、多くのブロック塀が倒れて圧死した犠牲者が18人でた。それなのにまだまだ危険なブロック塀はいろいろある。高さが高いのに控え壁がなかったり、コンクリ壁に比べ、スカスカのブロックで老築化、中の鉄筋がダメになっているではと、どうも信頼がおけない。

 まずはブロック塀の規則、法律を。
「安全なブロック塀とは 全国建築コンクリートブロック工業会」


熊本地震では、ブロック塀事故で所有者を刑事告訴も。

塀倒壊で下敷き死 遺族、所有者を刑事告訴へ

(引用)
ブロック塀を含むコンクリート建造物の耐震基準は、1978年の宮城県沖地震を受けて81年に「震度6強~7程度の大地震でも倒壊しない」強さにするよう定められた。日本建築学会は、高さ1メートル以上の擁壁の上にブロック塀を設置する場合は、高さ1・2メートル以下を推奨している。

熊本地震では、2度のM7クラスの地震という、前例がないという気象庁の発表だったが・・・・

気象庁の前例はせいぜい100年ちょっと記録で、歴史的にみるとこれに似ている記述があると、火山学者や歴史学者から発言がある。

とりあえず、慶応地震前後、中央構造線沿いの地震を整理してみた。

●1596年9月1日 慶長伊予地震
伊予(愛媛周辺)で起こった地震で中央構造線沿いの地震

●1596年9月4日 慶長豊後地震
豊後(大分周辺)の中央構造線沿いの地震です。別府湾・日出の間にある断層で。 伊予地震と連動か?

●1596年9月5日 慶長伏見地震
近畿地方で起きた地震で死者合計1000人以上もの大災害。伊予地震、豊後地震と連動か?

●1605年 慶長地震
南海トラフでの巨大地震。葉から九州の太平洋沿岸で津波が発生し、死者は1万人を超えか?

●1611年 会津地震
会津(福島周辺)で起こった地震。 死者は3000人を超えか?

●1611年 慶長三陸地震
東北の三陸沖で発生した地震。被害の記録が残っていないほど北海道・三陸の死者と被害が甚大か?

●1614年10月25日 慶長の地震
会津から松山まで地震の被害の記録か?

●1619年5月1日 熊本県八代市地震
M6.0地震 麦島城が崩壊し城下町も一瞬で消滅

●1625年7月21日 熊本市周辺大地震
M5.0~6.0の地震。熊本城の火薬庫が地震後の火災で爆発、天守付近の石壁の一部が崩れ城中の石垣にも被害。

●1633年3月1日 寛永小田原地震
M7.1の地震で、小田原で最も強く揺れ、小田原城矢倉、門塀などに被害。民家倒壊も多く、150人が圧死により死亡。

熊本・大分地震は、前例がないと気象庁。ところが各方面の専門家の話を総合すると、気象庁の言っているのは100年ちょっと話。

歴史学者や、火山学者など過去の地震を調べ、発信し始めた。

「過去に前例がない」に惑わされてはいけない、と歴史学者の磯田道史さん。

400年前によく似た地震、歴史の教訓を小田原で警戒
1611年 慶長三陸沖地震
1619年 熊本・大分地震
1625年 広島・香川など地震
1633年 小田原寛永地震

歴史から参考になる2つの連鎖地震、、「小田原」へと「京都」へと

1つ目は、1611年に東北で起きた「慶長三陸地震」から始まる連鎖地震
「小田原」へと
1611年、東北・慶長三陸地震=3・11東北地震
1619年(8年後)熊本県八代市、
1625年(14年後)熊本市周辺大地震=熊本地震
1633年(22年後)寛永小田原地震

2つ目は、1596年に大分県の別府湾で発生した「慶長豊後地震」が、東西に延びる中央構造線活断層に沿って伝播したとみられる地震
「京都」へと
1596年大分県別府湾「慶長豊後地震」
そのまま東西に延びる中央構造線活断層に沿って伝播したとみられる地震
その後、すぐに近畿地方で「慶長伏見地震」が発生


熊本の次はどこだ 地震連鎖の歴史から見た危険地域は3つ(日刊ゲンダイ2016年4月22日)

 「次の本震」が心配されているのは、北九州だけではない。過去に日本列島を直撃した2つの連鎖地震を調べると、「京都」と「小田原」で巨大地震が起きる可能性を捨て切れないのだ。

 1つ目は、1611年に東北で起きた「慶長三陸地震」から始まる連鎖地震である。「3・11」と同様、岩手や宮城などを大津波が襲い、数千人の死者が出た大地震で、その8年後の1619年に熊本県八代市で、さらに6年後に熊本市周辺でそれぞれ大地震が発生している。そして、1633年の「寛永小田原地震」へと続いているのだ。

■過去の地震発生とソックリ

 2つ目は、1596年に大分県の別府湾で発生した「慶長豊後地震」が、そのまま東西に延びる中央構造線活断層に沿って伝播したとみられる地震だ。豊後地震の後、すぐに近畿地方で「慶長伏見地震」が発生。京都市の伏見城が全壊し、近くの木津川河床遺跡(八幡市)には今も地割れや液状化の跡が残っている。

 ここ数日、大分県で地震が頻繁に発生しているだけに「慶長豊後地震」の再来かと不安が高まる。元東大地震研究所准教授の佃為成氏はこう言う。

「人体でも同じ場所のケガを繰り返すように、過去に大地震が起きた活断層では、再び大きな地震が起きる。注意が必要でしょう。気になるのは、熊本地震後、四国、近畿、東海地方の地震の回数がグンと減っていることです。阪神・淡路大震災でも見られた現象ですが、大地震の前には地震が続発したり、逆に減ったりするからです。日本列島は今、かなりのエネルギーをため込んでいる状態。いつ、どこでドカンときても不思議ではありません」

 備えあれば憂いなし。心の準備はしておいた方がよさそうだ。
(日刊ゲンダイ2016年4月22日より)

「熊本市と周辺は東西方向に断層。M6前後の震源の浅い地震が起きたとみられる記録が3、4回あり」と磯田道史さん

・1619年、八代
・1625年、熊本で大地震
・1889年、(明治22年)熊本でM6・3の大地震
・2000年、益城町を中心に震度5弱の地震


現在の地震の発生状況は、17世紀前半に類似・・・断言はできませんが」と磯田道史さん。

・東北で慶長三陸地震(1611年)津波が三陸を襲う
・8年後(1619年)、熊本・大分で地震
・14年後(1625年)熊本・大分のほか、広島・香川などで地震
・それから小田原地震(1633年)

(耕論)震度7、熊本地震の衝撃 大木聖子さん、磯田道史さん、河田恵昭さん(朝日新聞 2016年4月16日)

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